何行以上の文章は読み飛ばしますか


ネットで巡回をしていると,
改行ってどのくらい意識されているのか
すごく気になります.


blogだったらほとんどの場合,
改行せずに延々と文章を書いても
自動的に改行されるので意識しなくてもいいのですが,
例えば今日の冒頭の一行を例にあげた場合,
自動的に改行されると・・・


『ネットで巡回をしていると,改行ってどのくらい意識されているのかす
ごく気になります』


・・・なんてことも起こりうるわけです.


それこそblogが広まる前に
htmlで日記を書くのが一般的だったころは,
モニタ自体が小さいこともあって,
開いたウィンドウのサイズによって調整していたような気もします.


そして,むしろそうなるのがあたりまえだと見越し,
一行にあまり長々とまとめないで書くように心がけてくれるサイトは
個人的に高感度が高く,
私自身もネット上に文章をアップするようになったときは,
それを見習うことにしました.


私が改行を意識して行うようになったのは,
そういった「見易さ」がきっかけだったのですが,
あらためて自分のblogを見直してみると,
いつの間にか改行だけでなく,
まめに段落を変えていることに気が付きました.


ここまでの文章だけを見ても,
5行を越える段落はありませんし,
ここ数回の更新内容を見直しても,
1段落に2桁(10行)以上は書いていません.


そこで私は自分で自分の文章が
どうしてそうなっているのか気になりました.


単純に書き方のスタイルと言ってしまえばそれまでですが,
まめに改行をしているのだから,
行数はもっと膨れ上がっていてもいいと思ったのです.


ほとんど無意識的な部分なので,
理由らしい理由が見つけられなかったのですが,
別件で匿名掲示板を見ていた際に,
こんなレスを見かけました.


『3行以上の文章は読み飛ばすことにしている』


それは,たまたまその掲示板で,
本来取り扱うべきトピックスとは違う話題でキナ臭くなったときで,
熱くなった誰かが長文を書き込んだことに対してのレスでした.


「さすがに3行以上だからって,無条件に読み飛ばすことはないよな」
・・・と最初は思ったのですが,
それ以上になったらどうだろうかと考えたとき,
「2桁(10行)以上になったら読み飛ばす」だろうと気づいて,
ピンときました.


私が改行を意識するきっかけをくれた,
「一行にあまり長々とまとめないで書いてくれる」サイトで重要なのは,
改行をまめにすることより,
1つの段落で何行も書かない事だったのです.


結局私は無意識に
1つの段落に何行も書くことを嫌って,
1段落内に書くことをセーブしていたのです.


もちろん,それは私の場合の話ですし,
私自身,WEB上の文章を,
全て掲示板と同じように読むわけでもありませんから,
この書き方(区切り方)が正しいとはいいません.


そもそも段落を分けたところで
全体の文章量は変わりませんから
長文を嫌う人は結局読まないでしょう.


しかしながら,文章のうまさというものは
取り扱われるトピックスの選び方や
考察力もさることながら,
そういった書き方や区切り方によっても
だいぶ変わって来ると思うのです.


ぶっちゃけ私は最初から,
万人が読みやすい形なんて無理だと考えているクチなので,
もちろんそのための努力はしますが,
とりあえず紅髪らしさ,みたいなものを
出せればいいと思っています.


今日は結局全段落5行以内に収まりました.
きっと掲示板で5行までのレスを読む人なら
読んでくれることでしょう・・・.

放置されてもいいから消さないで欲しいというワガママ

長年ネットを活用していると・・・といっても,
そもそもネットの歴史自体が浅いわけですが,
消えていったサイトと言うのは星の数ほどあります.


「ああ,そういえばあのサイトって
どうなったかなぁ」と思い出して,
数年ぶりに訪れてみたら「Not found」なんてことは,
よくある話です.


同じ意味って言えば同じ意味なのですが,
無機質に「Not found」の文字が
表示されるほうがまだましで,
下手に「閉鎖しました」と表示されるほうが
個人的には,さらに物悲しい気がします.


もっとも,いずれの表示がなされても
大抵の場合は「そっか,なくなっちゃったんだ」で済むことで,
そう思った次の瞬間には別なサイトへ飛んでいることでしょうが,
ここはあえて「そっか,なくなっちゃったんだ」と感じた,
その一瞬について考えてみたいと思います.


私個人はその瞬間を「物悲しい」と述べたわけですが,
具体的に何を物悲しく思ったかを考えてみると,
それは当然,以前見た記憶のあるコンテンツ(文章でも絵でも)が
再び一度見ることができなかったからです.

しかしネット上のコンテンツに対する感情というのは,
どうもそれだけじゃない気がするのです.


普通に考えれば「なくなったものはなくなったもの」として
受け入れなければならないことなんですが,
ネット上の,ことWEBサイトに対しては
「どうして消してしまったのだろう?
そのままにしておいてくれればよかったのに」
・・・と考えてしまう部分が,少なくとも私にはあります.


ゆえに私は「Not Found」よりも
「閉鎖しました」という表示がされたときに,
『こんな表示を出す余裕があるなら,
もとのページをそのまま置いておけよ!』
・・・という感情が湧き上がっていて,
だからこそ,よりいっそう物悲しさを感じるのではないかと思うのです.


サーバーを管理している人たちからすれば
なんとも身勝手かつ迷惑に思われる話ですが,
同じように考える方は少なくないと思います.


以前私はサイトの知名度を上げるための方法として
「えげつないネタをあつかって,
都合の悪くなったものはなかったものとしてしまえばいい」
・・・と紹介しましたが,
たとえそれがどれほどくだらないネタで,
レベルの低い内容だったとしても,
それを見た人がそのときに感じたことまでは消せないので,
そこに物悲しさを感じると思うのです.


もっとも,そんなサイトは
基本的にあとで見直したくなったりしないわけですが,
いつ,どんなタイミングで,何に対して懐かしさを感じるか,
なんて誰にも分からないものですから,
可能な限りどんなサイトでも残っていて欲しいと思うのが
私のわがままな望みです.


・・・というわけで久しぶりの更新です.
まだ思い出として残すためだけに放置をしたりはしませんよ(笑)

「やりたくないことやっているなぁ」と思わせられるか


前回もyas-toroさんの記事から始まったわけですが,
さらにとりあげていただきました.
この文章の最後の一節を,yas-toroさんは
冗談交じりでさらりと言ってのけているものの,
なかなか言えることではないと思いました.


■必ずしも私がblogでとりあげたい話題とはかぎらない(from 紅髪の小部屋)<明日は明日の風が吹く>

取り上げたい話題を取り上げて、それについて書いていく、
それが私なりの楽しいブログ運営法。
アクセスが伸びるかどうかは別問題(笑)。


ここのところ取り上げてきたトピックスの中心は
「サイトの知名度」に関してで,
いかにしてそれを上げていくかが焦点でした.
そして,その答えの一つとして前回,
「えげつない方法」を紹介しましたが,
これはいわば「邪道」だったわけです.


いきなりそれを紹介しておいて言うのもなんですが,
サイトの知名度を上げていくための,
「王道」というものも間違いなく存在すると思います.
そして,それをまさに実践しているのが
yas-toroさんです.


・・・こんな取り上げ方をすると
yas-toroさん自身も困惑されるかもしれません.
そしてyas-toroさん以外の方は
「王道」とやらはいったいどれだけすごい方法なのかと,
期待されることでしょうが,
特別詳しい説明が要るようなことではありません.
yas-toroさんのコメントそのままです.


「取り上げたい話題を取り上げて、それについて書いていく」


これだけです.
ここ数回の,サイト知名度のえげつない上げ方に
興味を抱いて読んでいてくださった方からすれば
なんの面白みもないことのように思われることでしょう.
しかし・・・


「それについて書いていく」


これがなかなかできないものです.
毎日お気に入りサイトを一通り巡回すれば,
最低でも一つぐらいは取り上げたい話題が見つかることでしょう.


ですが,取り上げたいと「思う」ことはあっても,
それを文字に起こすという作業は,
「思う」ことと比較すると,はるかに手間のかかることで,
さらに人の目に触れることを意識して書くとなれば
その労力は倍増します.


blogの広がりによって,ネット上で意見することが楽になっても,
文字に起こすこと自体が楽になったわけではないのです.


人間,基本的に面倒なことを進んでやりたいとは考えません.
しかし,その一方で,人のやりたくないことをやれる人は注目されます.
私が「王道」と言ったのは,そんな当たり前のことの実践だからです.


しかし,そんな「王道」をゆく人の中には


「自分は長いことblogで色々書いているけど,
自分のblogは知名度が上がらないなぁ」


・・・そう思う方も多いでしょう.


これは,私の言い方が,
あえて消極的なものにしているせいでもありますが,
一般的にblogでの考察や言及は,そこまで「やりたくないこと」として
とらえられていないことが大きいです.
blogが手軽に更新できるだけに,
そのありがたみが薄れているという見方もできます.


「王道」には「王道」なりの厳しい現実があるということは否定しませんが,
本質的な部分に着目すれば,
なんら方針を変えることなく知名度を上げることは可能です.
はてなのキーワードにも登録されている,


食べたものを淡々と記録するよ


・・・などはその,好例だといえるでしょう.
3食欠かさず画像に収めてアップするなんてことは
まさにめんどうなことで,
少なくとも私は「やりたくないこと」です.


要するに「王道」の本質的な部分と言うのは
「やりたくないことをやっているなぁ」と
思ってもらうことにあるわけです.


私は冒頭で,yas-toroさんの文章の最後の一節が,
なかなか言えることではないと言いましたが,
それはつまり,yas-toroさんのblog運営法が
私に「やりたくないことやっているなぁ」と
思わせたと言うことなのです.


私の更新は不定期なので,
ほぼ毎日更新されているという点で
「私のやりたくないことやっているなぁ」ですし,
私が毎度ひとつのトピックスしか語らないのに対して,
複数のことについて語っておられる点でも
「私のやりたくないことやっているなぁ」と思います.


yas-toroさんはご自身の運営方法を
「私なりの楽しいブログ運営法」と言っていますが,
他の人にとっても楽しい方法であるとは限らないでしょうし,
だからこそ私みたいなファンが付いたとも言えます.


yas-toroさんを見習って
もっとまめに更新したほうがいいな,とは思うことはあるんですが,
今の頻度もまた「紅髪なりの楽しいブログ運営法」ってことに
しておこうと思います.

必ずしも私がblogでとりあげたい話題とはかぎらない

「サイトの知名度をあげるには
多少なりともえげつない方法を使ってでも」と,
前回書いたわけですが,
これに対してyas-toroさんが考察として述べておられた一節が
実に率直な意見だと思いました.


■サイトの知名度(from 紅髪の小部屋)<明日は明日の風が吹く>

実際問題、どうしたら良いのか分からない(笑)。
それに無理をして変なことをしたら、その分疲れてしまいそう。
したい事をして、それが有名になる理由になり、
且つ後からは削除した方が良いと思われるような内容であれば、
成立するかもしれないけども。


私が本文中で「えげつない方法」として,
一例を挙げたのは,いわゆるわいせつなサイトでした.


それは今更私が事細かに説明することでもないのですが,
新しいメディアが普及する上で「エロ」の影響力というのは
すさまじいものがあり,ネットの普及は言わずもがなですが,
少しさかのぼるなら,ビデオの普及の影にも
やはり「エロ」の力があったと言われているので,
ヒット数が欲しいだけなら
そういうトピックスを扱えばいいというわけです.


それはもちろんアフィリエイトなどの目的がない限り,
ヒット数自体に全く意味がないため,
「自分の書いた文章,テキストを読んでもらおう」という人間,
それこそ私のような者にとっては
えげつない方法ではあっても,使える手段にはなりません.


自分と同じようにblogを持つ人たちとのやりとりで,
「〜万ヒットしましたよ」と語るときに,
そのヒット数が大きければ大きいほど
充実感は高くなるということは否定しませんが,
いざ自分のサイトを紹介したら,
いたるところにエロコンテンツがちりばめられている・・・なんて状況は,
少なくとも私の望むべきものではありません.


ただ,そこまで露骨なものではないにせよ,
それを巧みに使っている人が,
blogを書いている人の中には存在していることを,
最近は認めざるを得ない感じがしています.


そう感じたきっかけは,
私のblogにトラックバックしてくれた方のリンク先に飛ぶと,
まさしく前述の「エロコンテンツがちりばめられている」サイトで,
しかしながら,私の書いたテキストへのコメントもなされていたりすることが
少なからずあったことでした.


私の書いた,比較的お硬い文章と,
エロコンテンツが共存しているとまではいいませんが,
単純にそのサイトの方が興味関心を持ったという点においては
どちらもネット上の関心事として同等なわけで,
当然ながら「一緒に掲載するべきではない」などと言うツッコミは不当ですし,
「一緒に掲載していいのだろうか」という心配もナンセンスです.


むしろ私が巧みだと思う理由は,
そういうサイトを訪れるきっかけとしては,
エロコンテンツだったかもしれないけれど,
同時に普通のコンテンツ,例えば私の文章への感想などに
なんとなく目が留まって読むことは,おおいにありうると思うのです.
そしてそのコメントが印象に残れば,
場合によってはエロコンテンツ関係なしに,
そのサイトを訪れることになるかもしれないわけです.


そして,それを積みかさねていった結果「知名度」を獲得し,
何食わぬ顔でエロコンテンツを切る・・・なんてことになれば,
それは私が言う”えげつない方法”になりますね.
もっとも,ここまで例を挙げて説明できる私でさえ,
そういう手段を取らないのは,
前述したように,誰かへの紹介ができないサイトを作りたくないという
こだわりがあるからです.


そのこだわりを捨てられるなら,という条件がつく点で
「えげつない方法」と言えるわけなんですが,
センスのいい方はここまでの説明で,
似たような手法をとりつつ,こだわりを捨てずに済む方法を
見つけているかもしれません.


・・・というのも,
今回挙げた例にあった「エロコンテンツ」の部分を
それと同等か,それに順ずるトピックスに置き換えればいいのです.
例えばこの”はてなダイアリー”には
「注目のキーワード」や「注目のURL」を表示する機能がついていますから,
つねにそれを追いかけるような記事を盛り込んでいれば,
かなりの反応を期待できるでしょう.


もちろん,エロコンテンツほど強烈なヒット数は稼げないかもしれませんが
少なくとも他人に紹介できないサイトになることはないはずです.


ここまでくるといよいよもって,
どうして私(紅髪)がやらんのかということになりますが,
それは単純に「注目のキーワード」や「注目のURL」が,
必ずしも私がblogでとりあげたい話題とはかぎらないからです.


これがヒット数をどれだけ稼げるかというレースか何かなら,
やっていたかもしれませんが,
そんな競争中なら,わざわざいい方法を晒したりしませんからね(笑)

サイトの知名度

サイトの知名度というのは
どのようにして上がるのかを考えるときがあります。


私の場合、ここでいうサイトというのは
主にblogサイトだと考えてもらっていいのですが、
例えば最近見かけた、
「blogの女王」と「新blogの女王」というキャッチコピーを見たとき、
誰がその称号を冠しているかよりも
何をもってそう判断されたのかが気になりました。


純粋な判断材料としてはカウンターの数字などによるもので、
いわゆる「ヒット数」がその目安になっているのでしょう。


ただ、それだけを目安にして
サイトの知名度を語るのであれば、
極端な話、卑猥なサイトのほうが
サイトとしての「知名度」は上だということになります。


ただ、えてしてそういったサイトは、
知名度」とは何であるかを考える上では参考しづらいところがあります。
取り扱う内容が内容だけに、その多くは、規制などの対象となって
現れては消えるということを繰り返すため、
統計的には高い知名度をほこっていておかしくない「ヒット数」を
稼いでも一般的にはほとんど知られることがないのです。
最近ではあまり使わなくなった言葉ですが、
アンダーグラウンド」と言ってそのあたりのサイトをくくるのは、
”表面に出てこれない”という点で実にうまい言い回しです。


さて、そのあたりも考慮に入れた上で、
改めて「サイトの知名度」を考えるとするならば・・・


「表向きに出せないような話題は避けたうえでヒット数を稼ぐ」


・・・といった感じになるのでしょうか。


自分で問題提起しておいてなんですが、
そういわれて見るとなんだか思い当たるような気がしないでもありません。


前述した「新blogの女王」が
「新blogの女王」と呼ばれるようになってから、
それまで自らのblogにおいて取り扱っていた、
コアなネタのいくつかを削除していました。


それは本人のイメージダウンを避けるためというよりは
著作権的な問題を考えた上での処置だったようですが、
それはまさに「表向きに出せないような話題は避けたうえでヒット数を稼げ」
ということを、実践したからではないかと思える事例です。


昔から彼女のblogを楽しんでいたいたファンからは
批判の声が上がったのも事実なのですが、この事例の興味深い点は・・・


「サイトの知名度を上げるきっかけになった内容を
なかったことにしても知名度は高いままである」


・・・という点だと思うのです。
ものすごく例えは乱暴ですが
不祥事を起こしたタレントがいた番組が
そのタレントによって人気を博したにも関わらず、
そのタレントは最初からいなかったことにして番組を続ける、
そんな感じです。


今でこそ「大人の事情」としてネタにして流すような風潮がありますが、
釈然としないところはあっても、それで納得させてしまえるのが、
知名度」の力なのではないでしょうか。


たいていそういうことがあると、
批判の槍玉に上がって、
ネット上だと、炎上、お祭り状態になったりするわけですが、
それでも一度獲得した「知名度」はなかなかしぶといというか、
惰性でそのサイトを見に行く人はいるでしょうし、
知名度」を獲得してからついたファンにとっては
何も変わっていないことになるので問題にすらならなかったりします。


blogを書いている人間としては、
どうすれば「知名度」を上げられるか?
・・・ということを考えることも多いと思いますが、
つまるところ多少なりともえげつない方法を使っても、
あとから「なかったことにできる」というのが現実なのでしょう。
なりふり構わずにいろいろやるのも手なのかもしれません。

一日で(まともに)書けるキャパシティ


とある友人から
「紅髪さんはいざ何かに取り掛かるとなると常に限界までやろうとするから,
突然エネルギー切れて眠ったりする.
もっとも,個人的にはむしろ,
紅髪さんの”いざ”がつかめないことが歯がゆいんですが」


・・・と言われたのですが,
私は,何か文章を書くとなると,
それがメールだろうが論文だろうが
集中して書ける限りは集中して書きたいので
結果的にそうなるようです.


どうやらそのへんの力配分は,皆さんうまくやっているようで
メールにはそれほど集中力を注いだりしないし,
逆に論文などには集中するようで,
どうもそのへんが私の”いざ”という時を
掴みにくくしているようです.


それも良し悪しで,
研究やら論文やらで文章を書く機会が増えると,
blogを書くまで気力が持たないことが多いのが私.


文章に取り組む姿勢に平等不平等は少なくても
絶対的に優先順位はあるので,
うしろにまわされる文章は,
内容云々以前に執筆頻度が下がります.


このへんのスタンスも,人によって違うようで,
他に書かねばならない内容があると分かっていると,
好きなことが書けるblogの更新を優先したくなる,という話はよく聞きます.


「一日で(まともに)書ける文章量は個人ごとに限界があるのではないか」
ということは常々感じていることなのですが,
毎日まめに,しかも質の高い文章でblogを更新している方たちを見ていると,
どれだけのキャパシティがあるのだろうと思ったりします.


こういう話題でよく聞くのは「継続は力なり」という言葉なんですが,
ことblogにおいては,毎日書き続けることで文章がうまくなっていくことより,
毎日更新を続けることによって,
キャパシティが少しずつあがっていくことがむしろ重要なのではないでしょうか.


・・・いやもちろん,長く書ければいいってもんじゃないですが.


そのへんの調節ができるかどうかも,
キャパシティに余裕があればこそだと思うのです.

歓迎するのはトラックバックかコメントか


前回の更新からだいぶ間があいてしまったな,と思って
とりあえず最後の更新分を読み直していたら,
トラックバックしてくださった,
「明日は明日の風が吹く」のyas-toroさんが
まさにトラックバックについて書かれていて,
さらにその時点で一番最近の記事として記事,


「■コメント欄の敷居に体当たり(from ゆずゆの悪戯)」


・・・でコメント欄について書いておられたのがなんとなく印象に残りました.


何が印象的だったかというと,
yas-toroさんはそれぞれを自分なりのスタイルで
使い分けているということです.


そんなことは当たり前だといわれればそうです.
ただ,yas-toroさんは
よく私のblogにトラックバックしてくれる方ですが,
私のblogにコメントを残していったことはないことに気づいた瞬間,
これが実に興味深く思えてきました.


私は別にyas-toroさんにコメントを残していって欲しいから
こんなことを書いているわけではなく,
yas-toroさんのスタイルにおいて,
おそらく私のblogの位置づけはコメントするタイプのものではなく,
トラックバックするタイプの認識なのではないか,ということが
言いたいのです.


私の日記はこれまで自他共に触れてきましたが
日記というよりコラムに近い感じで書いているので,
yas-toroさんに限らず,
私はどちらかというとコメント欄にコメントされるよりも,
トラックバックされて考察を述べてもらえるほうが好きです.


コラム的に何らかのテーマについて記述した場合,
・・・これもまた個人的な好みなのですが,
コメント欄でそのテーマについて議論に発展する状況が
どうもスッキリしないというか,
議論に発展させるくらいなら,
もうちょっと考察を深めて,メインのトピックスで
思う存分語ったほうがいいような気がするのです.


ネット上というのは時間的にも空間的にもあいまいな世界で,
自分の存在も他人の存在も不確かなものですから,
自作自演が普通にまかり通ってしまいます.
それならいっそ,純粋に自分の感じたことだけを淡々と述べて
反応を期待しないのも一つのスタイルなんじゃないかと思います.


少なくとも私は,問題提起をしても
何らかの正解や,ましてただ一つだけの答えを
出したくて語っているわけではないので,
「そういう考えもあるんだなぁ」と思えただけで
十分幸せな気持ちになれるのです.


ちなみにいくらblogが広まったからといって,
必ずしもblogを持っているとは限らないし,
いつでも長々と考察を書けるような状況にある人も稀でしょうから
コメント欄はコメント欄としてあって欲しいとも思っています.


紅髪の小部屋は
トラックバックでもコメントも両方歓迎しております.
スタイルに合わせて使っていただけることが喜びでございます.