コメントするくらいならエントリを書くほうがCOOL


いきなりですが、blogに関しては、
コメントするくらいならトラックバックして、
エントリを書くほうがCOOLだと思っているのですがいかがでしょう?


・・・そんな問いかけをされたら、
なおのことコメントを書き込みづらくなりますね(笑)


コメントがつけやすいことがメリットだと思って
はてなダイアリを選んだ私が、
実はコメント欄をあまり見ていないことは
少し前のエントリにも書きましたが、
だからこそコメントではなく、
エントリとしてとりあげて欲しいと思うのです。


もっとも、そのためにはまず自分のblogを持たなくてはいけないわけで、
そこまでしたくない人のためのコメント欄であることは承知してるのですが・・・


簡単なコメント程度のことでも、
後日取り上げてエントリになってしまったりすることがある私としては、
そのコメントをした人が、
どういう経緯でそのコメントをするに至ったかを知りたいし、
それを書けば十分魅力的な文章になるように思えるのです。


よく私のblogを取り上げてくださる<明日は明日の風が吹く>
yas-toroさんなどは好例だと思います。
他のサイトからの引用も多いので、
どんな考え方をしている人なのかをうかがい知る事ができます。


■孫ニュースサイトの話(from 痕跡症候群)<明日は明日の風が吹く>

それで紹介出来なかった記事だけを羅列して紹介しようかと思う事もあるぐらい。
ただ、そうしたら今の倍以上の記事紹介になって、見る人が辛いのは間違いないので辞めた(苦笑)。


みんながみんなそうした日には
blog一日あたりの見出しが大変な数になるような気もするわけですが、
コメント欄で何行にもわたって持論を展開されるよりは、
遙かに読む気になりますし、何より・・・


『みんながどう思っているかはともかく、自分はこう思う!』


・・・という、反応を期待しないストイックさがあって、
すがすがしいと思うのです。

読み物の満腹感


毎度ごぶさたしております.
リアルで会って「blog更新しないの?」と言われると
さすがに罪悪感にさいなまれます.


だらだらいいわけするより中身のある話を,
というわけで早速本題.


最近いろんな読み物を手にしながら分析しているのが
「読み物における満腹感」です.
もちろんblogも含みますが,文字媒体のメディアだけでなく,
漫画もその範囲に入ります.


週刊漫画の感想を書かれているサイトをよく巡回しますが,
特に雑誌単位(ジャンプ,サンデー,マガジンなど)で
一通りコメントされているタイプの方だと,
作品ごとに文章量に大きく違いがあります.


それはもちろん思い入れのある作品と,
そうでない作品で差がつくからだということでもありますが,
あらましを述べてから感想を書かれる方も多く,
その週に大きな進展がなくて書くことがないため,
総文章量が減っている,ということがよくあります.


週刊漫画雑誌において,
一作品に与えられるページ数は平均すると20ページ前後です.
何らかのキャンペーン的に「増ページ」なんてこともありますが,
そういった特別な機会でもなければ,
人気作品だろうとそうでなかろうと,
ページ数にほとんど差はつきません.


同じくらいのページ数なのに,
書かれている内容量に差を感じるとき,
私はまさに「読み物における満腹感」を考えてしまいます.


漫画のジャンルによっては,
そもそもストーリ展開がなかったりもするので,
一概に進展次第でのこととは言えないのですが,
自分が読んでいる漫画で
「今週はあまり進展なかったな」と思った作品が,
感想サイトでも取り扱いが軽かったりすると
「ああ,やっぱり満腹感がたりなかったんだなぁ」と
改めて思うわけです.


じゃあどうやったら「満腹」になるのか?と言われると,
「時間経過」「場所移動」「人物登場」など,
広い意味での状況変化に寄るところが大きいとは思ってますが,
どれか一つだけというわけでもないようで,うまく言えません.


・・・なんでこんなことを考え始めたかといえば,
なんとなく新聞の第一面コラム欄を見ていて,


「ここに収まる文字数でもある程度の満腹感があるのはすごいなぁ,
同じくらいの文章量でblogを書くくらいなら,
このコラム欄と同じように毎日更新できるかなぁ」


・・・などと思ったからなんですが,あれはあれでプロの仕事なわけで,
そう簡単に真似できるものでもないんですよね.

コメント欄って、どのくらい見てます?


通りすがりでもコメントをつけられることがメリットだと思い、
はてなダイアリーを選んだ私ですが、
自分の記事に対してのコメントには活用できている一方、
同じようにはてなダイアリーでblogを書いている人の記事に対する
コメントを見ることは殆どないことに気がつきました。


エントリ内容がとても興味深いものだったり、挑発的なものだったりして、
本文よりコメント欄の占める割合が大きくなっていたり、
場合によってはそこでのやり取りが翌日以降の
メイントピックスになっているblogを見かけることがありますが、
その場合でも、基本的に大元のエントリしか読みません。


私自身はコメントを題材にして書くこともあるのに、
読み手に回ったときの、その割り切り方には自分でも驚きます。


どうやら私の中で、
「コメントはその記事を書いた人宛のもの」という認識があり、
自分の書いた記事以外のコメントには
あまり興味をそそられないようなのです。


そういう感覚は自分だけなのかと思っていたのですが、
どうやらそうでもないようでした。


・・・というのも、このblogの過去ログを見直してみたところ、
「コメントを題材にして書いた」エントリによって
カウントされたカウント数は、
新規に取り上げたエントリに比べて圧倒的に少なかったのです。


これはつまり、blogで取り上げられるトピックスは
基本的にその場限りの刹那的な認識が強く、
よっぽど興味関心を持たれない限り
その前後の展開に注目されることがない、
ということだと思います。


早い話が、ことの経緯を把握するのがめんどくさいわけですね。


これをふまえて考えるなら、
仮にコメントの引用等を行う場合でも
あえて「新規トピックス」の形でエントリを行ったほうが
注目を集めやすいものと思われます。


結果的にそれで過去のエントリにも
興味を持ってもらえれば、万々歳ですしね。

簡潔に書くか、詳細に書くかの葛藤

blogを持っている人なら一度は
要点を把握してもらえるよう、
簡潔で分かりやすく伝えたいという気持ちと、
持ちうる情報は出し惜しみせず、
詳細なところまで伝えたいという気持ち、
その葛藤にもだえた経験があるのではないかと思います。


その葛藤の末に選ばれた選択については、
十人十色の理由があることでしょう。
どちらの気持ちを優先するのが正解か、という話ではないので
絶対の正解はありません。


だからこそこういったテーマに関する考察を読むのが私は好きですし、
もちろん自分の選択についてもここで何度となく書いてきました。


そもそも葛藤が起こる理由、
それはもちろん絶対的な文章量にあります。


前者を優先した場合「短く」書くことになり、
後者を優先した場合「長く」書くことになるわけで、
単純な話、両立ができないことだから葛藤が生まれているわけです。


この問題、本当に両立できないことでしょうか?


・・・という問題提起をして、
「いい文章」とされる例をあげる展開はよくあるのですが、
それは大抵”詳細なところまで、簡潔で分かりやすく伝える”という、
いわば『いいトコどりをするにはどんな工夫があるか』という話になります。


しかし、それだと結局
前者寄りの選択について述べたことになるのです。
最終的に出来上がる文章の理想形態は「短く」書かれたものになるのですから、
「両立」していないではありませんか。


まるで子供の揚げ足取りみたいな指摘です。
しかし、これを実際に実践している例が
見慣れたところにありました。


ポータルサイトのニュースページです。


MSNでもyahooでもどこでもかまいませんが、
ポータルサイトのニュースを見る場合、
基本的に以下の3段階に分けて情報を獲得しています。


第1段階
TOPページでニュースの見出しが目に付く


第2段階
見出しをクリックして、ニュースの要約・概要を読む


第3段階
さらに興味を持った場合「全文を読むor続きを読む」をクリック

速報性が重要視されるトピックスに関しては
見出しの一文で書かれていることだけだったりもしますが、
基本的には情報の詳しさによってページが異なっています。


こういった、ポータルサイトのニュースページと
一般的なblogを比較すれば明らかですが、
本当に「簡潔さ」と「詳しさ」を両立させたいのであれば
それぞれ別々に書くべきなのです。


実際、blogのシステム自体は
それを実行できる構造になっていますし、
意識的にせよ、無意識的にせよ
殆どの人はそれを少なからず活用しています。
例えば一番分かりやすい例としては・・・


「その日書いた内容にタイトルをつける」


・・・などが挙げられます。
これは前述した、ニュースページの「見出し」を作っているようなものです。


さて、あらためて今回取り上げたネタを考えてみます。


「簡潔で分かりやすく伝えたいという気持ちと、
詳細なところまで伝えたいという気持ちの葛藤」


私は、この葛藤を解決できる、絶対の正解は無い、と冒頭で述べましたが、
もしそれでも正解が欲しいと言われたら・・・


第1段階
一言で内容を言い表せるタイトルをつける


第2段階
簡潔に要約した内容から書き始める


第3段階
詳細にわたって書く


・・・このように答えるでしょう。


全部やるのは実にめんどくさいですよね?
ポータルサイト運営の一部として、
それを仕事に給料もらわないとやってられないですよね?
どれかに絞りたいですよね?


私もそう思います。


こんな私はおとなしく
簡潔で分かりやすく伝えたいという気持ちと、
詳細なところまで伝えたいという気持ち、の間で葛藤して、
最終的にどっちかを選んでしまうのがお似合いじゃないかと思います。

長文が長文たるゆえん


すでにトップからは外れていますが


■読まぬなら読まして見せよう長文テキスト<駄文にゅうす>


こちらのほうで取り上げていただいたので,
長文テキストについて取り上げてみようと思います.


結論から言うと・・・・(<umeさんコメントありがとうございます)


長文が長文たるゆえんというのは,
長さに見合った情報量が,
その文章にないからではないでしょうか?


もっとも,書き手に分かるのは書き手なりの,
適切な情報量と文章量のバランスだけなので
読み手が感じる適切な情報量と文章量のバランスは
頑張って客観的に自分の文章を見ることでしか把握できません.
ぶっちゃけ想像するしかないでしょう.


そんな努力を全ておこなってなお,
「長文過ぎる」と評価をされるのが現実だったりします.


ものごとについて詳しく述べようと思ったら,
それだけ文章量が増えることは自然なことのはずですが,
それはあくまで書き手側の都合でしかありません.


読み手からすると「どれだけ関心があるか」によって,
求める情報の詳しさが違うので,
関心の薄いことについては,
取り扱っているトピックスにとって本当に必要な情報量であっても,
長々と書かれている,と判断されてしまいます.


この,絶対的な感覚の「ズレ」を埋めるため,
長さに見合った情報量って何だ?ということに
私は日々試行錯誤を繰り返しているのですが,
「くどい」という評価をいただくことが多い一方,
「くどい」ことを前提にして
読みに来てくださる方がいるのも事実だったりします.


もしかすると,そもそも
「文章の長さに見合った情報量」なんてものはなく,
自分の感覚とマッチした,
「情報量と文章量のバランス」を持つ人を見つけることが
モアベター(ベストが存在しないから)ってことなのかもしれません.

「広く浅く」書いても「狭く深く」書いても

相変わらずblogの長さをどのくらいにしたらいいのかを
日々悩んでいる私ですが,
巡回していて,自分で気が付いたのは
自分が巡回するニュースサイト系,テキストサイト系には
わりと長文よりのサイトが多いということでした.


逆に,トピックスのタイトルだけのサイトとか,
一言コメントするだけのサイトはほとんどなく,
結局,私個人の趣向として,書くのも読むのも,
それなりの長さになるのが好みなのではないかと思えてきました.


そこで思い出したのが,以前書いた,


■「何行以上の文章は読み飛ばしますか」


・・・に対する反応でした.
「長文は避ける」というコメントをしている方のサイトは
文章が短い傾向にあったので,関連性は深いと思ったのです.


もちろん,その人がどれだけ書くため,読むために
時間をさけるかによってもだいぶかわって来ると思うのですが,
十分にその時間は確保できると仮定した場合,
ネット上の文章に対する「長さの趣向」は,
本人が発信および受信における情報量の許容値として,
無意識に設定されているように思えます.


簡単に言うなら,
「このくらい知れればいいや」という基準が
「このくらい知らせられればいいや」の基準になるってことです.


当たり前といえば当たり前なんですが,
これが見きわめとしてじつに難しい気がします.


そもそもモチベーションの問題として,
仕事でもない限り,
わざわざ「書きたくないことを書く人はいない」でしょうから,
web上の文章は「書きたいことを書いた」ものになります.


しかし,見きわめが難しいのは逆にそのためであると思うのです.


好みのトピックスであればあればあるほど
書きたいことは多くなるでしょうし,
それにともなって,そのネタに触れる機会も多くなりますが,
ちょっと気づいたこと程度であるなら,
軽く触れてそれっきりです.


「書きたいこと」には書き手なりのランク付けがあって,
それに応じて記述内容の深さは違ってくるわけですが,
問題はそのランク付けがほとんど無意識で行われていることにあります.


「このネタに関しては70点ぐらい好みだから10行書くけど,
あのネタに関しては30点ぐらいの好みだから3行ぐらいにしよう」


・・・なんてことを考えながら文章を書いている人がいたら,
ぜひその採点基準について伺ってみたいものですが,
まずおそらくいないでしょう.


とはいえ,結果的なことだけ見れば,文章量の多さは,
視覚的にその書き手がどれだけの積極性をもって
そのトピックスを取り上げているのかを判断する基準になっています.
もちろんそれは良くも悪くも作用するので,
時として,積極的すぎることが
うっとおしく思われることもあるでしょう.


しかしながら,面白いのは
前述した「長文は避ける」というコメントをしている方のサイトの方々は
文章が短い傾向にはあったものの,
取り上げるトピックス数自体が膨大な傾向にあったことです.


確かに一つのトピックスに関して,
長々と触れるつもりはないようではありましたが,
全てのトピックスを把握するためには,
それこそブラウザウィンドウを
スクロールさせなければならないほどの羅列がなされているのは
それを長文とは呼ばないにせよ,
全てを把握しようと思ったら長文を読むぐらいの労力が要ります.


容量的な配分を言い表すときに
「広く浅く」「狭く深く」などという言葉が使われますが,
ネットにおける情報収集において,
自分がどちらの傾向にあるのかを見定めることも重要である一方,
取り扱い可能な情報の許容量が
自分でどのくらいなのかを把握することはさらに重要だと思います.


「広く浅く」取り扱おうと,「狭く深く」取り扱おうと,
個人が取り扱うことのできる絶対的な情報容量は一定なので,
だからこそ,そのバランスは個人の趣向で決めていいわけですが,
私個人としては,冗談抜きに
それを数値化できたらなぁと思っていたりします.


紅髪『今日のトピックスは65点ぐらい好みだから100行!』


ただでさえ普段から長文の私は
100点をつける話題とか,恐ろしいですね.

WEB上の文章で行間を読む


昨日アップした■「何行以上の文章は読み飛ばしますか」
早速コメントをいただきました.
ありがとうございます.


そのなかでCOTOCOTOさんの指摘内容が
興味深いものでしたので取り上げてみようと思います.


はじめまして。とても興味深い内容なのですが、個人的に気になる部分がありました。


私は文章に話し言葉と同様に間をよく意識してしまいます。
それは「、」や「。」のときだけでなく、
改行も文章独自の一つの「間」として捕らえます。
相手の反応が遅いと不安になったり、何か考えているのかなぁ、と思うのと一緒で。
なので、段落を分ける、改行の数を変える、ということは私にとって、
文章の受け取り方まで変ってしまうんです。


あと、内容とはちょっと違いますが、改行をあまりしないまとまりのある文章は、
書籍デザインと同様に見た目のまとまりがよいという利点が存在します。
もちろん、WEB上の文章と紙の上の文章を
(人間工学的にもデザイン的にも)同一視は出来ませんが。


何が興味深かったかといえば,
言われてみると「間(ま)」というものを
私も確かに感じ取っているなぁ,ということでした.


特に思い当たったのが,ケータイ宛のメールです.


ケータイは液晶画面サイズが小さい上に
機種によって見え方がかなり違うため,
送り主が改行したと思っていた部分が,
単に折り返しになっていただけで,
改行されずに送られてきたりすることがよくあります.


今でこそ慣れましたが,
少なくとも始めの頃はだいぶ戸惑いました.


それはまさに,改行による「間(ま)」というものを,
COTOCOTOさんの言うように
相手の反応を見るための一要素としてとらえているからこそ
感じたことだと思います.
つまり,単なる入力ミスでしかないものを,
何らかの意思表示のように見てしまったわけです.


ケータイ電話のメールは,ほぼダイレクトに相手へ届くので
なおさらそういう意識は強く働くのかもしれませんが,
どんな文章でも,少なからずそういった意識は
かならずあるでしょう.
それは文字通り「行間を読む」ということになると思います.


見え方ひとつでそれが左右されてしまうわけですから,
COTOCOTOさんはコメントの最後に,
「あと、内容とはちょっと違いますが」とおっしゃられてはいますが,
デザイン的な意味での改行というものは,
あながち無関係じゃないと思います.


その点では,昨日の文章を取り上げてくださった,
以下のサイトでの指摘に思わず納得です.


■<白い戯言>

私は行では見ず、スクロールバーで粗方確認してからかな。
長いと感じたらその文章自体読むのを止めるようにしてる。

■<明日は明日の風が吹く>

ただ、あまり密集してるとねぇ……目が滑るというのはある。
読み辛いんだよね、行が詰まってると。
左から右に読んでいってまた左に戻って……あれ、この行だっけ?なんてなると、
読む気が失せるという事はあるかも。


ケータイでの件も考えると,
「一覧性」のある書き方がポイントになってくるのかもしれません.


ただ,私のように日記形式で文章を載せているような場合,
濃い話をしたいときもあれば,軽めの話をしたいときもあり,
トピックスが日ごとに変わって当たり前なので
なかなか統一感を作り出しにくいところはあります.


そのへんの理想を追い求めていくあたりが
楽しさでもあるんですけどね.