読書量の差に感じる劣等感


私は幼い頃から,
耳にタコができるほど母親に「本を読め」と言われ続けてきたのですが,
その理由というのが「読解力をつけるためだ」というものでした.


それでも歳をとるにつれて,
言われなくても読書量が増えていったので,
今の私の読書量を,当時の母親が見れば,
幼い頃の私と比べた場合,満足するかもしれませんが,
母親本人と比べると少ないような気はします.
(子供に「本を読め」と連呼するような人だけに,
本人の読書量は相当なものです.)


どうも読書という行為自体にそういった思いがあるせいか,
読書量が増えてもいま一つ達成感がなく,
むしろ劣等感を感じてしまうくらいです.


母親が「読解力」を理由に挙げたのは,
国語の試験などで役にたつからだという部分もあったと思います.


しかしながら,読書家なら試験の点数が飛びぬけてよかったかというと
そうではなかった気がします.
語彙や,文脈の判断などで優れた結果が出るので
全体的に高い点数が出ていたような気はしますが,
最初から試験問題対策してきた連中と渡り合えたかというと,
そこまでいい点数ではなかったと記憶しています.


また,私の知り合いには,読書量で遥かに私を凌駕する人が大勢いるのですが,
そのわりに話す内容にまとまりがなかったり,文章を書くのが下手だったり,
何だか非常にアンバランスな印象を受けます.


読書というのは,ロールプレイングゲームのレベル上げじゃないので,
一冊読んだら定額の経験値が入るわけでも,
能力値が上がるというわけでもないわけですが,
一冊本を読むことで一般にあまり知られていない言葉や,
言い回しを得られる可能性があったりして,
何かの拍子にそれらを表現に織り交ぜたりすると
ロールプレイングゲームのレアアイテムさながらに,
他人からうらやましがられたりします.


もしかすると,私の感じている漠然とした劣等感の正体は
そういったやり取りの延長にあるものなのかもしれません.


・・・昔,こんな感じことをよく言われました.


「えー?△△△△作の○○○○を読んだことがない?
古典の名作で常識として読んでおくべきものだよ?」


私はこういうセリフを聞くたび,確かに正論だとは思いましたが,
「古典の名作で常識とされる作品を読んだ人」が
どうしてこんなイヤミな言い回ししか出来ないのだろうかと
不思議に思っていました.


レアアイテムは持ってるだけじゃダメですね.
使いこなしてこそです.