読書感想文は誰のために書くか


昔からよく「文章を書くときには読む人のことを考えて書け」と
言われてきた気がするのですが,そもそも誰のためにその文章を書くのか,
ということについてはあまり言われてきたことがないと,最近気がつきました.


原稿用紙の話題で,読書感想文がなかなか書けなかったという
後輩の話を取り上げたことがありますが,
あれもまた一体誰のために書いているのかハッキリしないからこそ
書けなかったのではないでしょうか.
ノルマのためにモノを書くのと,
誰かに自分の文章を読んでもらいたくてモノを書くのはモチベーション的にも,
内容的にも大きく違うはずなのです.
・・・にも関わらず、昔を思い出してみると,
むしろ「誰のために」ということは考えてはいけないというか,
変なところで子供らしく文章を書くように強要されていた感じすらあります.


私は小学生の頃,親や担任教師の代弁者として読書感想文を書いてみるとか,
学校の教師にウケるように体験文を書いてみるとか,
色々なスタンスで文章を書いた記憶があります.


もっとも,そんなことを公言して提出した日には反感を買うので,
あくまで私の本心としてその文章を書いたということにして提出していましたが,
例えば前者に関しては,今にして思えば
いち早く大人の文章構成レベルに触れることができたわけで,
ある意味手ほどきを受けたようなものですし,
後者に関してはまさに誰のために書くのか,
という点を絞り込んだ文章作成というものを実践したことになるわけで,
「小学生らしさ」や「子供らしさ」とは逆行する,
ある意味ひねくれた形ではあったかもしれませんが,
文章自体の完成度を高めるにあたってはいいことだったのではないかと思っています.


私が教師に媚びまくろうと決めて書いた体験文を,
私とまったく反りのあわない学年主任が絶賛したときは,
あまりにも結果がハッキリ出たので笑ってしまうほどでしたが,
よく考えると,小学校の教師がモノを書くことにそれほど精通しているはずも無いわけで,
そうなると,最終的には読んでいて
自分の教育方針と合致するとか,
自分の理想とする生徒の形に当てはまるとか,
そういう選考基準であって当然なのかもしれません.


まあ,そんな文章が一般的に評価されないことは,
何らかの形で文章を書きを続けていればおのずと分かってくるわけで,
そういう意味では逆にそういう文章に賞を与えたりしている教師の業は
意外に深いような気がしてならないのですが,
最近は小学校にもパソコンがあって当たり前の時代になりつつあり,
外部に自分の書いた文章を発表する場がひろがっているので,
私の時代とは変わってきているのだろうとは思います.


私が教師なら,書かされた読書感想文より,
自ら進んで書いたWEB日記の方を評価しますね。