フリーター紅髪の日記


俺の周りにいる知り合いの、
職に対するスタンスの傾向に
どうも似通ったものがあるように思えてならないのだが、
それに関しては、どうも共通する部分が自分の中に無いわけではないと言うか、
むしろ思い当たるフシがあるような気がする。


おそらくそれは、
没個性的な人生に対する抵抗といってよく、
普通に就職して働くことが
どこかかっこ悪いと思えてしまうあたりに
その根幹があると思う。


社会一般から見て定職につかないということは、
決して格好のいいものではないのだが、
どうやら比較の問題として、
納得のいかない職業に就くくらいなら、
フリーターで日々をしのげることのほうがいいと考えてしまうらしい。
さらにタチが悪いのは、
そうやって暮らす中で、何か劇的ともいえる出来事でも起こって、
「納得のいく職業に就く」のではないだろうかという、
まったくもって何も根拠の無い望みを抱いてしまうことだ。


社会一般的な認識による、常識的な判断と言うのは
あくまで理屈の話であって、
それは理解こそすれ、就職しようという原動力にはなりえない気がする。
それだけに特に両親など、
身内の人間は話す機会と話すべき立場に恵まれるため、
悶々とした思いを募らせてしまっているとは思う。


とはいえ、この状況を打破できるかどうかは
むしろ感情的な納得が得られるかが問題で、
突き詰めていくと、
「自分の人生を特別なものにしたい」という欲求に根ざした感情ではないかと思う。
どれほど定職に就かないことのデメリットを説かれたところで
”とりあえず”就いた職に自分の人生を預けることに納得ができないというのは、
もはや感情の問題でしかないだろう。


”とりあえず”就職さえすれば、
少なくとも収入はフリーターより安定することは分かっているのだが、
一度定職に就いたら、安定した収入を得ていたいがために、
「自分の人生を特別なものにしたい」という欲求を失ってしまうのではないかという予測と、
その結果として「没個性的な人生」を招いてしまうのではないかという不安もまた
感情的な問題だ。


今の社会情勢を見れば、
どんな職に就こうがその職場で一生やっていく確率のほうが低いくらいだが、
そんな社会だからこそ、一生やっていけるような職業についてこそ
自分の人生が特別なものだと思えるのではないかとさえ考えてしまう。


ここまで分かっていたとしても、
「自分の人生が特別なものだと思える職業」というものが
果たしてなんなのか、見えてこないのはなぜだろう。


そんなものは本当はなくて、
妥協の連続の果てに、自己満足したほうがよっぽど
幸せな人生なのかもしれないとも思う。
それでも、やはりあるのではないかとあきらめきれないのは
一度きりの人生だからなんだろう。