人間ウォッチャーのひとりごと


私はよく「人間の分析能力に長けている」と言われるのですが、
そもそも私の場合、
「人間の分析能力に長けている」というより
あれこれ「人間を分析することが好き」なだけなので
幼い頃は思ったことをそのまま口にしたために
トラブったり、「ひとこと多い」と
たしなめられたりしたものです。


幼い頃ながらに事実を言うことに
何の間違いがあるのか
ずっと疑問だった記憶があります。
そこにはまったく悪意がない場合がほとんどで、
むしろ理不尽な形で差し止められたことに対して
悪意を抱いていた気がしますが、
その辺は若気の至りでもあります。


それなら大人になった今はどう変わったのかといえば
わりとやることはシンプルで


「口に出すか出さないか」


ただそれだけの区別ができるようになっただけです。


それはじつに単純ですが
案外世の中ではしばしば最終的な焦点となったりするもので、
たとえば電話での応対やらをめぐって
録音テープが存在するかしないかであらそったりしますし、
広い意味ではプライバシーの論議あたりにも関わる部分です。


心の中で何を思ってもそれは勝手です。


「今、○○と思っただろう?」


などというセリフは冗談でこそ使っても
まじめに言った日には言いがかりもいいところですし。


では具体的な話、
そういった「人間の分析能力に長けている」ことは
どのくらい役に立つのかといえば、
役立つことが半分、役に立たないことが半分といったところです。


前述したような、
トラブルを引き起こしやすい性分であることや、
「思っていても口にしない」ということが
裏表のある人間としての印象を与えてしまったりするあたりは
デメリットでしょう。


もっとも、本当に器用な人なら、
そんな印象を周囲に与えたりはしないでうまくやるのでしょうが、
そのテの恋愛マニュアルでも私みたいなタイプは
モテないと書かれているみたいで、
さすがに親密な仲ともなると、
否応なしにそのあたりはバレるのでしょう(笑)


メリットとしてはやはり
その人を多角的に見ることができる楽しさをあげます。


単純に話していることだけでなく、
そのしぐさに注目するだけでもだいぶ違います。
「どうしてこの人はそういう行動を取ったのかな」と考えるだけで
その人の見方が大きく変わったりするものです。
ましてそれが自分しか気づいてなかったときの
独占感はたまらないものがあります。


場合によっては変態扱いですが、
私としては人生を楽しむ秘訣じゃないかと思ってます。