評論家って・・・


■2004-10-27 surviveさんのなんとなく書く日記(仮)


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>BSアニメ夜話
>とりあえずパトレイバーとハイジの回を見た。


>押井守の方はどうか分からないけど、
>ハイジの高畑勲監督とかはあの場で議論されてたような深い意味を
>製作していた本人達は意識して考えてないじゃなかろうか?と思った。
>評論家たちが語るような難しい言葉を並べた評論やら法則って、
>作家とか芸術家とかがそれに基づいて作品を作っている美意識や美学を理解しようとしたりする為だったり、
>解釈した気になる為のものなんじゃなかろうか。
>その第三者が考えるような法則とかは作ってる本人は一切意識していないし、
>例えその法則がその作品に成り立っていたとしても
>そうした方が面白いもの、いいものが出来るからっていう
>感覚的なものに基づいてものを作ってるんじゃないのかな?と思った。


中々鋭いことを言うと思いました。
特にアニメに限ったことじゃないのですが、
評論家に対する、ある種の胡散臭さを的確に言っていると思います。


制作者というのは評論家を嫌う傾向にある、といいますが、
それはまさに指摘しているような、
三者的の考えを押し付けるようなイメージがあるから、というのが一つと、
それに乗じて批判することが多々あるからだと思われます。


付け加えるなら、
評論家は批判はしても代案は出さないという一方的な態度をとりがちです。
批判される側とすれば「そんなことをいうならお前がやってみせろ」というわけで、
そうなれば対立するのも当然です。


では評論家がなんのためにいるのかといえば、
評論の対象作品を作った人たちが
自分でも把握しきれていない部分を指摘するためにいると、私は思っています。


survie陛下が指摘しているように
私も作った本人達は確立した理論や法則を持っているとは思えません。
ただ、「あのときこうしたらうまくいった」「以前○○したときは失敗だった」といった、
過去に携わった作品の数々からつちかったノウハウにしたがって、
モノを作っていることは間違いないと思うのです。


つまり、それが結果的に何らかの法則にかなっているとか、
理論化できる域に達しているとか、
それを分析するのが評論家の役目なのではないでしょうか。


確かに本人達の自己満足的な部分は否定できないのですが、
作り手の気持ちになって分析する方法や、
別分野の理論や、古典の規則性に根拠を求めるのも
視点の持ち方としては間違っていないと思います。


おそらく一番の問題点は
言い方や話し方の部分だと思います。
番組の特性上、その辺は編集のきかない部分ですし、
即興性や知識量の豊富さを見る部分もあるので、
偉そうに見えたり、得意げな態度が鼻につくのは仕方ないと思うのです。
(・・・そういう態度に人一倍敏感な私が言うのでそのへんは間違いないでしょう)


survie陛下は既に薄々感じてらっしゃるようですが、
そういう意味でも「BSアニメ夜話」という番組は
そのなかで語られていることが正しいか否かを問う番組ではなく、
その中で取り上げて語られること自体に意味がある番組なんだと思います。