書き手のスタンスなんて流動的で当たり前なのかも


紅髪の小部屋 - その文章をアップするのは明日にしませんか

明日は明日の風が吹く - その文章をアップするのは明日にしませんか

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私以外のお二方は「即アップする派」として書かれているのですが
この流れがとても印象的だったので、取り上げてみようと思います。


紹介した記事を追っていくと、
文章をアップするタイミングに関して、
自分が「間を置く派」と「即アップする派」の
どっちのスタンスなのか、ということを
考えたくなるのではないでしょうか。


取っ掛かりの文章を「間を置く派」として書いた私が言うのもなんですが、
私がまったくの第三者として読んだとしたら、
そういうことを考えたくなるでしょうし、
どちらのスタンスを取るかときかれれば
当然ながら「間を置く派」をとると思うのですが、
だからと言って「即アップする派」を否定することはないだろうな、とも思いました。


自分のスタンスが基本的に「間を置く派」だとしても
書いた文章をすぐにアップする機会はこれまで何度もあったし、
これからも普通にあることであろうと容易に予想できたからです。


それは別に先に言い訳をしたいわけでもなければ、
スタンスを変えるとか、そういうわけでもなくて、
そもそもこういうスタンスとか、
「○○派」みたいなスタイルとかというものは
ディベート(討論)の時のように、
はっきりと宣言でもない限り、分からないものだと思うのです。


文章の内容で、つじつまの合わないことや、
データとしての間違いを指摘されたときに、
素直に受け止められる潔さを持つことは大事だと思いますが
例えば今回、私が「間を置く派」のスタイルだと言っておきながら、
お二方の記事を読んで、すぐに文章をアップしたことを、
間違いだと指摘されることはないでしょう。


blogを書く上でのスタンス、というか
正確には文章を書く上でのスタンスは、
できるだけ統一しておくべきだとは思いますし、
読む側としてもそのほうが
「この人はこういうスタンスで書いているのだな」と
安心して読めるでしょう。


ですが、結局は書く人がそのときそのときで、
「そうするのがいい」と考えたことを実践していいと思いますし、
内容自体が興味深いものであれば、
多少稚拙な表現になっても関係ない気がします。


・・・いや別に今後私が恥ずかしい文章を晒しても許してほしいとか
そういうことを期待しているわけじゃないですよ?(笑)