更新せねばならないという脅迫感

Blogを含め,自分のサイトを持ったことのある人なら
誰しも一度は「更新せねばならない」という脅迫感に
さいなまれたことがあるのではないでしょうか.


例えば,blogを日記として使っている人は、
たずねて来てくれる人のことを考えると
それは一種の近況報告を兼ねていて、
更新が無い状態が続くと、ある種の「不安」を与えかねません。


脅迫感のポイントはこの「不安」がどんな不安であるかです。


本来,純粋に近況報告として考えるなら
更新できないこともまた近況であり,
「忙しくて更新することができない」とか
「体調が思わしくなくて、更新する元気がない」とか
そういった解釈をされるべきだと思います。


しかし、それはその日記を書いている人と,
ネット上だけでなくリアルでも会った事があるとか、
もしくは相手のプロフィールをある程度知っていて察することができるとか、
かなり限定された条件下でのことであければ,ありえないことです。


更新がない状態が続いたときに与える「不安」のほとんどは


「もう更新する気がなくなったのではないだろうか」


・・・というシンプルなものです。
事情を察するとか、心配するとかそういうことは
ある程度の「思い入れ」が無い限り発生しません。


また,そういった「思い入れ」をもってくれる人であっても
同じ「不安」は発生しうることです。
そうなると、よりいっそう厄介で
「ああ、あの人だから更新をやめちゃったのだな」という
確信的なものとなって、
2度とその人のサイトを訪れることがなくなってしまいます。


いまや星の数ほどあるBlogの中で
自分の書いた文章を読んでもらうことは大変なことですから、
読んでもらった上にそういった「思い入れ」をもってくれる人ができたとなれば
できる限り期待に応えたいですし,
逆にその人が離れていってしまうことに恐怖を感じることさえあるでしょう.
それが脅迫感につながっていると思うのです.


・・・こういうことを考え出すと,たとえつまらないことであっても、
何らかの更新をすることが大事なことで、
だとすれば私がさんざんダメな日記の典型としてきた
「今日は疲れた」の一言で終わらせる行為はむしろ正しいことにさえ思えてきます。


しかし、勘違いしてはいけないと思うのですが、
更新さえしていればそういう人たちがずっと
「思い入れ」を持ち続けてくれるわけではないということです.
注目してもらうことはとても大変なことなのに,
見限られるときは哀しいほどにアッサリしているものなのです.


最近は芸能人などによる簡単さのアピールもあって,
Blogは一気に広まったわけですが,
簡単にはじめることはできても,
更新を続けることはけっして簡単なことじゃないと思います.


星の数ほどあるBlogもいつまで星の数ほどあるか怪しいものです.
私は、最終的に結局Blogがあろうとなかろうと
日記を書き続けられる人の数しか残らないと見ています.