オー人事、オー人事


週末、中学校の部活動以来の付き合いである
なみへいさん(通称ナミィさん)と飲みに行き、
「義務教育時代における委員会役員の話」になったとき、
以前同様のトピックスにおいて
しゃかもさんが言った、


「基本的にうさんくさいイメージがある」


…という言葉を思い出しました。

私は義務教育時代、
やたら委員会役員をやっていたので
言われた当時なんともショッキングだったわけですが、
否定する気が起きなかったのも事実で、
そのへんのある意味矛盾した感覚は
いったいなぜなのか少し気になっていました。


小学校、中学校における委員会役員というのは
要するに学級委員や生徒会執行部などに代表されるものです。
選挙(の真似事)によって選ばれますが
実際は生徒と先生の間に立つ中間管理職といったほうがよく、
先生から用事ごとを頼まれ、
クラスメイトからは文句を言われ、
悪く言えば体のいいパシリです。


しかしながら、うまく立ち回ることで
先生方の覚えめでたい存在となり、
内申書などにはプラス評価として書かれることから
まったくメリットがないわけではないです。


逆に言うと、そのあたりを狙って
成績上位者が進学をさらに不動のものとするため
率先してその役職につくようなことも多々あることから
「うさんくさい」イメージがついていることは否定できません。


しかし、私の場合、
特に内申書でのプラス評価を得ようとして
役員に着いたことはありませんでした。


つまりメリットも考えずに着いたというわけで、
それはもはや純然たるパシリとして
利用されたと考えるのが妥当でしょう。


では本当にそのときの経験は
無駄だったのでしょうか。


私はしゃかもさんと話したときに
それが無駄ではなかったと言えるだけの
例を示すことができませんでした。
せいぜい「話のネタにはなった」と言うのが
関の山だったはずです。


今回ナミィさんは、
ご自分の研究室の話題を出してきたのですが、
とある博士課程の人間が、
教授の言いつけを守らせるべく、
やたら決まりごとの張り紙を作っては
入り口付近に貼り付けて、
えらそうにしているという話でした。


私はこの話を聞いたときに
生徒会役員の立場と似ていることに気づきました。
特に教授の威光を盾にしているあたりが
じつにしっくり重なります。


そこで私は言いました。


紅髪
「博士課程ともなれば20代も後半なのに、
そんな人間のやっていることが
義務教育時代のそれとほとんど変わらないというのは
あまりに滑稽な気がするんですが」


するとナミィさんはこういいました。


ナミィ
「それはきっと紅髪さんがそういう経験を
積んできているからいえることであって、
その博士課程の人にとっては
きっと初めてのことなんですよ」


私はこういわれたときにようやく
自分の経験が無駄でなかったことを
確信できました。


私がその人と同じ立場になったら
おそらくそんなことはしません。


決まりごとを押し付ける前に
その決まりごとに対する理解を
求めようと努力しますし
場合によっては決まりごと自体の必要性を
再検討しようと考えるでしょう。


それが教授の理不尽な要求だったとしても
理不尽な要求が出た経緯を説明してから
決まりごとを提案するだけでも
印象はだいぶ違います。


場合によっては改善案が出てくる可能性だってあるのに
いきなり決まりごとを押し付けては
その改善案を出してくれるかもしれない人たちに
反感をもたれるだけです。


要するに経験の有無は
その余裕が持てるかどうかという点
に関係しているということになります。


その「余裕」に価値を見出すかどうかは
その人の判断しだいです。
しかし一般社会における頻度で言うと
そういう状況は訪れることが多いと思います。


そうでもなければ
「上司に恵まれなかったら・・・」のCMが
流行ったりはしないはずですからねw